エッセイ
2026.07.22

ガラパーティーに参加するようになって、
私の中で少しずつ変わったことがあります。
それは、ドレスコードの捉え方
最初の頃は、「どんなドレスを着ればいいのだろう。」
「周りより地味だったらどうしよう。」そんなことばかり考えていました。
でも、何度もガラディナーへ足を運ぶうちに、
少しずつ気づいたことがあります。
ドレスコードは、おしゃれを競うためのものではないということ。
その場を用意してくださった主催者への敬意。
一緒に時間を過ごすゲストへの思いやり。
そして、その空間を美しく完成させるための約束。
そんな意味があるように思うようになりました。
同じドレスコードで集まった会場には、不思議なくらい美しい一体感があります。
誰か一人が目立つのではなく、そこにいる全員で、一つの景色をつくっている。
そんな感覚です。

もちろん、素晴らしいジュエリーを身につけている方もたくさんいらっしゃいます。
でも、本当にエレガントな方ほど、それを見せようとはしません。
その方自身に自然になじんでいて、後から思い返すと、
「素敵な方だった。」そんな印象だけが残るのです。
私も最初は、「せっかくのガラだから。」
そんな気持ちで、アクセサリーを足したくなったことがありました。
そんなときに思い出すのが、ココ・シャネルのこの言葉です。
「出かける前に鏡をのぞいて、アクセサリーをひとつ外しなさい。」
― ココ・シャネル
初めてこの言葉を知ったときは、
ファッションについてのアドバイスだと思っていました。
でも今は、もっと深い意味があるような気がしています。
足すことは、誰にでもできます。
でも、引くことには、自信が必要です。
自分を飾ることより、その場に調和すること。
目立つことより、相手を心地よくすること。
本当のエレガンスとは、そんな「引き算の美しさ」の中にあるのかもしれません。
そして、もうひとつ気づいたことがあります。
人は、ドレスを見ているようで、実は、その人自身を見ています。
テーブルでの所作。
給仕の方への接し方。
隣の方との会話。
自然な笑顔。
どんなに美しいドレスよりも、そういうもののほうが、ずっと心に残ります。
だから最近は、「何を着よう。」よりも、
「どんな時間をつくろう。」そう考えるようになりました。
ドレスコードとは、服装のルールではなく、
敬意を身にまとうこと。
私は、そんなふうに思っています。